金子 勝先生講演レジメ(岩井 康 作成)
 1.日本国憲法の間接的起草者、鈴木安蔵氏

 1)天皇の大日本帝国が、中華民国と東南アジア諸国を新しく日本の植民地にするための侵略戦争である。「日中戦争」(1937年7月7日より)と「太平洋戦争」(1941年12月8日より)に敗北して、日本は、「ポツダム宣言」(1945年7月26日公表)を受諾した。(1945年8月14日)[第二次世界大戦の終了(1945年8月15日)]

 2)[ポツダム宣言]の内容
   a.日本軍国主義者の権力及び勢力は永久に除去される(六項)
   b.一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰が加えられる(十項)
   c.日本国に民主主義と基本的人権の尊重が確立せられる(十項)
   d.日本の軍需産業の維持は許されない(十一項)
   e.以上のことが達成され、且つ、日本国国民の自由に表明せる意思に従い、平和的    傾向を有し、且つ、責任ある政府が樹立されるまで、日本国は、連合国の軍事占    領を受ける(七項、十二項)

 3)「憲法研究会」の発足(1945年11月5日)
     会長=高野岩三郎氏(大原社会問題研究所・所長NHK会長、統計学)
     会員=杉森孝次郎氏(文芸評論家)/ 森戸辰男氏(東京帝国大学教授、日本社会党議員)/ 室伏高信氏(評論家)
         岩淵辰男氏(評論家)/鈴木安蔵氏(開会の幹事役、在野の憲法研究者)
    *民間の憲法制定研究団体
    第2回研究会 1945年11月14日(水)
    第3回研究会 1945年11月21日(水)
    第4回研究会 1945年11月28日(水)「第一案」の検討
    第5回研究会 1945年12月5日(水)「第2案」の検討
    第6回研究会 1945年12月26日『憲法草案
要綱』の決定。(執筆)

 4)『憲法草案要綱』の内容
   a.国民主権の主張と天皇制を残した問題点。
     共和制は時期尚早。10年たてば、国民は「共和制」を要望するであろう(甘かったと反省)
   b.戦争の放棄について
     戦争の惨禍と全軍隊の解除と国民全体の当時の心情から、軍に関する規定を置    くことは全然考えていなかった。
   c.基本的人権の創設。社会権の採用。
   d.国会―全国一区比例代表制の採用、国民投票による議会の解散。決議の無効の    採用。  *直接民主制の重視
   e.内閣―外に対して国を代表。「天皇元首」の否定。国民投票による内閣の不信任決議の採用。両院議長による内閣総理大臣       の推薦―問題あり。
   f.陪審制の採用
     大審院長の公選制
   g.地方自治と違憲審査制−なし。想定しえなかった。
   h.「経済」の先進性。

5)起草に当たって鈴木安蔵氏が参考にしたもの
・フランスの「人および市民の権利宣言」(1898月26
日制定)
・フランスの「1793年6月24日憲法律ならびに人および市民の権利宣言」(ジヤコバン党[山獄党]憲法)
・ドイツの「1919年8月11日のドイツ国憲法」(「ワイマール憲法」)
・日本の植木枝盛の「東洋大日本国国憲案」(1881年8月起草)など。

6)『憲法草案要綱』は、鈴木安蔵氏がいなければ生まれなかった。

7)GHQは、この『憲法草案要綱』を英訳し、それをつぶさに検討し、参考にして「日本国憲法草案」(「マッカーサー憲法草案」)を作成した。(1946年2月12日確定)

8)鈴木安蔵氏は日本国憲法の間接的起草者である。

2.鈴木安蔵氏の思想と学問

 1)相馬郡小高町の時代の鈴木安蔵氏

 2)第二高等学校時代の鈴木安蔵氏
   @「新カント主義哲学」に熱中。
   A「第二高等学校社会思想研究会」の結成
   Bマルクス主義の影

 3)憲法学への道
   @京都帝国大学文学部哲学科入学(1924年4月)
   A京都帝国大学社会科学研究会(京大社研)
Bマルクス主義の研究へ
   C「学生社会科学連合会事件(労連事件)」での逮捕(1926年1月18目)。
 D京都帝国大学自主退学。結婚(1927年6月16目)

4)鈴木憲法学の成立
  @1929年、東京で、憲法学・政治学の研究を開始。
  A獄中で「研究プラン」の作成(1929年10月21日−1932年6月17目)。
  B厳しい研究環境
  C『憲法の歴史研究』の発刊(1933年6月20目、大畑書店)。
  D鈴木憲法学の意義。