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我孫子市九条の会ニュース

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                                          2011年6月
憲法を変える動き 急ピッチ
ドサクサにまぎれて 大震災、原発事故のウラで
大正12年9月1日、関東大震災の日、時の政府は即日「戒厳令」を発令、関東一円は非常事態とされ、「自警団」も組織された。
朝鮮人虐殺事件や、亀戸事件等が引き起こされた。災害を逆手にとった「大正デモクラシー」に対する反動攻勢であったことは、その後の歴史が証明している。

―急速展開、憲法改定への動きー
昨年夏の参院選挙で民主党は参院では少数与党に転落した。"ねじれ国会"下での国会運営のために民主党の自、公、みんなの党等へのスリ寄りが図られてきた。
昨年秋、民、自の参議院国対委員長会談で、参院憲法審査会規定(国会で憲法改定を議論する)の議決と審査会の始動の方向を合意した。
09年6月、衆議院での憲法審査会規定は自公政権によって強硬可決され、成立していた。
その時は大反対していた民主党だったが、今度はそっくりそのまま参議院での審査会規定とすることで合意した。

―この春―
民主党内では、憲法審査会規定案(参院の)について「役員会」一任とし2月下旬には
自、公、みんな、との協議を始めるとしていた。
  そして、5月中旬、参院憲法審査会規定は一気に成立された。

―キッカケは大震災 震災を逆手にとって強権国家づくりー
  4月28日、自、公、民、みんな…等、共産党、社民党を除く各党、各会派の有志で作る「新憲法制定議員同盟」が大会を開いた。首相になった時「退会」していた鳩山前首相も同会の顧問に復帰していた。
  今、自民党が新しく改憲の目標としているのは「非常事態条項」だ(さすが戒厳令とは言わないが)。東日本大震災後の追加である。また、衆参の2院制を1院制とすることも加えられた。2大政党による政権交代制がうまく機能しないことにいら立つ財界の要求であり、ねじれ国会打開のために一つにまとめてしまうことである。
  憲法96条の改憲手続きの要件緩和(全国会議員の2/3以上の賛成がないと改憲の発議が出来ない。これを一般の法律並みに1/2以上の賛成に変える)。
憲法9条を変えたいのが本心だが、まず外堀を埋める作戦である。

―追記―
  5月27日、民主党は同党憲法調査会の役員会(会長前原氏)を開き、来年3月までに党の考え方(憲法改正案)をまとめることを確認したと報道された。社会保障の切り下げと消費税増税の"一体改悪"等さまざまな悪政が検討、実施されようとしている。仕上げが憲法の大改悪ということらしい。
  大震災と原発事故のウラで、まともな国会討論も国民への説明も
ないまま、悪政大連立が策動されていると言える。
  九条の会の役割が今こそ必要ではないだろうか。   (N・T)

ある日突然日常生活が破壊された・・・東日本大震災、そして福島第1原発事故。
国民の権利である命の安全が守られない、衣食住がいまだに保障されない不安な暮らし。
自分にできることは・・・と考え、さまざまな支援を行っていますが、我孫子市からも災害ボランティアに駆けつけています。我孫子市九条の会員の方の報告を抜粋します。 
詳しいものは、6月18,19日のアビスタで行われる市民活動フェア2階学習室に展示します。

      大船渡・陸前高田震災ボランティア報告
5月2日から4日間の経験   N・K

 5月2日午前6時上野駅に集合して、岩手へ向かいました。民宿に泊まり、岩手労連ボランティアセンターで仕事の割り振りを受けることになりました。
  私たちが滞在するのは大船渡市中心部から半島ひとつを隔てた三陸町越喜来(おきらい)地区の崎浜です。小さな湾を持った独立の漁港ですが、小さい港なりに壊滅的な被害を受けていました。

翌朝 けが予防の体操のあと 約20人のスタッフは小型バスに乗り込み、他に1台
のミニバンが付き添い、やく30分で大船渡ボランティアセンターに到着しました。
港湾部埋め立て地の一角は被災した自動車の集積場なっています。ボランティア初日はここで分類登録の仕事をすることになりました。数千台に上る自動車の墓場です。
3人組になって大まかに区分けされたスペースにある廃車を調査します。1人が記録用紙を持ち、他の二人が一台ずつバックナンバー・メーカー・車種・車体色などを調べます。車種くらいはすぐわかると思っていたのにそれがなかなかわかりません。特に燃えた車、ひっくり返った車、ぐしゃぐしゃになった車は車種どころかメーカーも色すらも判りません。上下左右、くまなく手がかりを探し、ドアがあいているものはグロゥボックスも開けて車検証を調べました。午前中いっぱいを使って120台くらい調べました。屋根のない場所で、炎天下ですが、薄曇りの天気で助かりました。
  不気味なのは車体についているバツ印です。これは車の中で遺体が発見されたという印なのです。これを見ると「バツ印あり」と叫び、「合掌」と唱えて3人で手を合わせます。
これが結構多くて一割近くはあったようです。
  私たちの受け持ち区域は広かったので、宿でもらったおにぎり2個で昼食の後、午後も続けました。午後2時ごろ終了したので、盛川のごみ拾いに加わり午後3時半に終了。
  大した労働ではなかったけれど死臭漂う場所での作業だったので神経が参りました。
  夕食は打ち合わせを兼ねて、簡単な報告の後いっせいに「いただきます。」と始まり、夜は時間限定ながら、どこからともなく酒が集まり大宴会が開かれました。

3日目は、被災した民家のがれき撤去と汚泥の撤去です。
最初何も持たずに出発しようとして、リーダーに「猫やドン袋がいるよ。」と指摘され、メンバーがそれらの道具を揃えました。
猫は猫車=一輪車 ドン袋はドンゴロス=汚泥用麻袋です。
大船渡市内の比較的被害の小さい盛川上流域に行きました。被害が小さいとはいえ、人の身長以上の高さに水の跡があります。頼まれた撤去物は相当な量なので、「終わるかなあ?」と不安になりました。
何回も往復した結果 だんだんがれきの山が小さくなりました。 午後2時過ぎから小型バスに乗り込み、陸前高田の被災地視察に向かいました。高田市民の会・共産党が共同で開いている災害対策センターで市議から災害の実情を話していただきました。
4日目午前中陸前高田の被災地に物資を運ぶ仕事をこなしました。わずかな物資でしたが、届け先の人々から「ありがとう、ありがとう」と言われて頭を下げられ、胸がいっぱいになりました。それから東京へ戻る旅路は、大渋滞。何とか日付が変わらない時間に上野へ到着しました。充実した4日間でした。
(編集にあたり、「ボランティア報告その1」および「ボランティア報告その2」より 本文を要約、抜粋させていただきました。)
 

中学校教科書の採択

今年は中学校教科書の採択が行われます。「作る会」は自由社、「教科書改善の会」は育鵬社から教科書を発行し、歴史を歪曲し、日本国憲法を敵視するとして問題になった教科書が、歴史・公民それぞれ2種類になります。「教科書展示」(湖北台東小内) が6/17〜7/6 行われます。見て、感想や意見を教育委員会に出しましょう。 

市民活動フェアinあびこ2011
〜ボランシカつながるまち・つながる人・ひと・ヒト〜
  6月18日(土)19日(日)午前10時〜午後4時
   場所  アビスタ(手賀沼そば)
費用無料 さまざまな企画があります。今年で10回目、参加団体70以上
 我孫子市九条の会は「社会・教育(改称)」分科会に参加し、活動掲示と紙芝居を上演します。また、今会報の2,3頁の「ボランティア報告その1、その2」のファイルを展示します。 分科会の共同企画として「登戸研究所資料館」(正式名称:第九陸軍技術研究所)の展示物をお借りして展示し、DXDで資料館の様子を上映する予定です。
戦争の時にこの研究所がどんなことをしてきたのか、一般に知らされてなかった事実を展示物を見て、平和とは何か、どうしたら平和が守れるのかを考える場にしていただけたらと考えています。またテーマの「つながる人」で、「うたごえ広場」をおこないます。
今回分科会では、それぞれの参加団体が活動報告をDXDにまとめて上映します。
ぜひ、ご参加ください。詳しい当日の時程は、「社会・教育分科会」のチラシをご覧ください。  (市民活動フェア担当 中川美保子)
                          「9の日行動」5月9日に行ないました。運営委員会では、
「九の日にこだわらなくてもいいのでは」との意見もあり、検討中です。 
フェアで「紙 芝 居」  
6月18(土)19日(日)
午後1時〜1時30分
(小学校高学年以上)
「慰安婦にされた少女たち」
中国で慰安婦にされた少女の話から平和を考えます。昨年の「スボクさんの決心」は朝鮮半島の実例でした。この紙芝居は、「男女平等教育全国ネット」の方々が自費出版した作品です。大人の方々に見ていただきたいのです。
 
息 茂子さん  安らかに
去る5月4日、息茂子さんが長い闘病生活の末、ご逝去されました。
新日本婦人の会我孫子支部長、我孫子市革新懇代表世話人、我孫子市九条の会運営委員など女性の地位向上、反核平和運動、憲法を守る運動に率先して活動し、いつも明るい笑顔で、みんなから親しまれ、信頼され、仲間を励まし、運動の発展に寄与されました。長い間ご苦労様でした。安らかにお眠り下さい。(N・Y)

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