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我孫子市九条の会ニュース

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                                          2015年8月
私たちの熱気で、怒りの熱気で、暑い夏をつくり出しましょう
 
「戦争放棄」は日本の誇りです,心です。さあ,皆さん,日本の未来のために若者とともに立ち上がるときです!
 
「安全保障関連法案に反対する学者の会」呼びかけ人、「九条の会」事務局の渡辺 治さん(一橋大学名誉教授)の7月17日(金)のスピーチの書き起こしです。渡辺さんはSEALDsの国会前緊急行動で「参議院の審議、戦後70年の問題、原発の問題、辺野古の問題などが押しよせる8月は、安倍対決の最大の山場。もっともっと熱い夏にするために共に頑張ろう」と呼びかけました。今,「国民をなめんな」「戦争したくなくてふるえる」とふつうの若者たちが立ち上がってきています。この渡辺さんのスピーチは戦争法反対の活動をしているすべての人々への熱い行動提起として大きな反響を呼んでいます。

SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。)

 
みなさん、こんばんは。学者の会の呼びかけ人のひとりである渡辺治です。よろしくお願いします。今日はみなさんに、ぜひとも 1つお話をしたいことがあって来ました。それはこの憲法に違反する戦争法案、衆議院で強行採決をされましたが、本当に廃案にするにはどうしたらいいのか。本当に廃案にできるのか。このことについて考えてみたいと思います。
  みなさんの中には、怒りでここに結集した、そして同時に、こんな衆議院の強行採決で国民の声も聴かないような安倍政権のやり方では、もしかしたら戦争法案、強行採決されるんじゃないか。そういう焦りもあるかもしれません。でもまず第1に言いたいことは、焦っているのは私たちより安倍政権です。安倍政権は私たちの運動の中で、2つの大きなミスを犯しました。
  1つ。意外かもしれませんが、国会の会期を 8 月の初旬に終わらせたいはずだったのに、なんと国会の会期を 95日も延長せざるを得なかったこと。これは私たちの闘いの中で 6 月 4 日に憲法審査会で 3人の憲法学者が意見を言ってしまう。こういうようなことの中で、国会を 8 月初旬に閉じるなんてことはとてもできない。だから絶対に安全を期すために、なんと9月27日まで延ばさざるを得なかった。
  それからもう1つ。意外かもしれないが、強行採決は本当は彼らもしたくなかった。そんなことをやれば国民がさらにこの戦争法案をどう見るかわかっているから、彼らだってやりたくなかった。それをやらないと間に合わない状況をつくった。この2つの誤算が安倍内閣を大きく縛っていると私は思います。
  なぜ8月に国会を閉じたかったのか。そのことが一番問題です。8月になると、もし国会が開かれていると、戦争法案という大きな害悪に加えて、3つの爆弾が出てきます。1つは何か。8月の中旬に間違いなく川内原発の再稼働が行われます。安倍は絶対にこの川内原発の第1号機の再稼働を実現したい。大国をつくるために、強い大企業本位の国をつくるために、戦争法案と並んで、彼がどんなに国民の反対を受けても、川内原発をまず再稼働したい。これが8月の初めにあります。
  続いて、8月の 10 日過ぎには、安倍がこれまた執着している戦後70年についての談話があります。これも安倍は自分の命をかけて発表したい。そこでは、戦前の日本の侵略戦争と植民地支配を絶対にお詫びしない。それから絶対に謝罪をしない。そうしなければ、これから日本の国を支える若者たちが、この国に誇りを持てないと彼は思っている。馬鹿げたことだ。戦後70年の談話は彼は絶対に出す。しかし中国や韓国だけではなくて、この私たち国民の中からも確実に反発が起こる。これが2つ目の爆弾です。
  3番目の爆弾は、辺野古の新基地について、前知事が許可をした埋め立て許可を拒否すると、その決定を翁長さんは8月にやると言っている。この原発、戦後の歴史問題の修正、植民地支配を反省しないで居直る。そして普天間の基地を強行する。辺野古の基地を強行する。
  この3つのことは、戦争法案がなくても大きな爆弾であり、安倍内閣の命を吹っ飛ばすような、私たちにとって重大な課題。これがなんと 8月に出てくるんです。彼は 8 月の初旬に国会を閉めて、心静かにゴルフをしたかった。ところがこの運動がそのことを許さなかった。9月27日まで、つまり8月の間中、国会の中でまさに原発の問題と、辺野古の問題と、戦後70年の問題を大いに議論する。戦争法案と合わせて、4つの爆弾を彼は抱えている。
  もちろん私たちが寝ていたら、この爆弾は爆発しない。しかし私たちがこの闘いを大きくすることによって、確実に安倍政権のこの 4つの爆弾で、安倍政権の命運を左右することができる。これが戦争法案をなくす唯一最大の道です。
  みなさん、じゃあいったいこの 4つの爆弾を爆発させるために、私たち・君たちは何をやったらいいのか。これについて話をしたい。もちろん毎週金曜日ここに来る。これは前提です。だけどこれだけでは不十分だ。大きな闘いをやるには、これだけでは不十分だ。私も大学で教えていました。
  今、夏学期の試験、あるいは始まるところです。学生みんな来てるんです。そこのところで、まず集会が終わったら学園に帰って、そこで 1人でも多く友だちを見つける。そして戦争法案がいかに悪いかということを話して、ここに連れてくる。そしてもっと余力があったら、学習会を開いて、シンポジウムを開いて、大学の中で戦争法案について議論する。
  僕らは喜んで行きます。学者の会は、伊達にあるんじゃない。多くの学生を呼びたい。少なくてもいい。だけど学者の会に声をかけてほしい。僕は九条の会もやっています。九条の会にも声をかけてほしい。みんな行きたい。そういうふうに思っている。ぜひとも学園に帰ってほしい。それが1つ。
  もう1つ。もしかしたら夏休みに、地域に帰るかもしれない。郷里に帰るかもしれない。恥ずかしがることはない。絶対に帰るべきだ。そして地域の中で、学生諸君は、必ず地域の中で起きている運動に参加してほしい。なぜならば、九条の会は全国に7500あります。 7500 あって10年以上頑張っています。最大の弱点。中高年なんです。僕と同じ、おじさんおばさんが必死に頑張っている。だから君らは、地域に帰って、必ず君らの地域に九条の会はある。必ず地域で戦争法案反対の取り組みがある。ここに行って訴えてほしい。自分たちはこういうことを国会の前でやっているんだ。ともに闘おう、とぜひ言ってほしい。これは地域の人びとに、すごく大きな元気を与えます。
  これから暑い夏が来ます。安倍さんはこう思っていると思います。このような強行採決の後の集会も、今は盛り上がっているけれども、そのうち常連ばかりが集まって、静かな国会がやってくるだろう。彼はそれを切望しています。こんなことは許せない。こんなことは絶対に許せない。じゃあどうするか。それは私たちが、安倍さんが嫌がるようなそういう暑い夏に、もう嫌で嫌でしょうがない、生きていられない。そういう夏にしようじゃありませんか。 私たちの熱気で、怒りの熱気で、暑い夏をつくり出しましょう。
  この夏が勝負です。この夏は、戦争法案をとおして、国を戦争する国、70年の歴史を変えるのか、それとも戦争する国を阻んで、私たちの国をアジアに広げていくのか、そういう正念場が今来ています。この夏をもっともっと暑い夏にするために、ともに頑張りましょう。
 
第4回「平和への願い・学びの会」(6月23日)
筑波海軍航空隊記念館・予科練平和祈念館見学に参加して
 
 
9条の会主催で予科練平和記念館を訪れるバスツアーがあると知り、すぐに申し込んだ。
ここへは、前から行きたいと思っていた。当日、先ず着いたのは、笠間にある「永遠の0」のロケ地にもなった筑波海運航空隊記念館だった。ここは、海軍特攻隊の発祥の地とかで、学徒動員された学生の手紙や遺品などが展示され、手作り感あふれていた。
茨城県としては、存続するか検討中とのことだったが、是非、保存・開館を継続してほしいと思った。
 実は、亡き私の父は学徒動員され、0戦の操縦訓練を受けていた。
「空は、いいぞ。一度乗せてやりたい。」というのが父の口ぐせだった。私も断捨離世代になり、父の持っていた神宮外苑の学徒動員や営舎や0戦に乗っている写真などをどこかで役立てて貰えないかと思っていたところだったので、記念館の方に話をしてお渡しさせてもらった。この記念館に出会え、自分の心の区切りができた感じがしている。
  父と同世代で出撃し、帰れなかった方々がほとんどで、私の祖母が熱心なクリスチャンだったのは四男を南方の戦地で亡くしたからではないかと思っている。
  福島も沖縄もそして、戦争法案によってもごく普通の生活をしている人々が、政治の力によって翻弄される事態が起きたり、起ころうとしているこの頃、力は小さくても自分達の生活と次世代の子ども達を守っていかなければと思う。 (T・M)
 

    零戦のガラスで作ったペンダント想いし人をイニシャルにして
    
    会うことの無き人に作るペンダント小さきケースに特攻記念館
    
    おぞましき物造りしを繕いて「桜花」とつけしか人間爆弾
    
    世で一番悲しき音ぞモールスの細く消えゆく自爆と共に
    
    死に向かう不安泣きごと無き文の文字より起ちし深き慟哭         (K・Y)

《戦争しない国が好き》皆さんの平和への思いをここに
 
◆戦争法案シール投票で思うこと・・・・・・・・・・・・・ 
7月15日我孫子駅南口で行った戦争法案反対への訴えと署名活動では,初めて「シール投票」を行いました。ボードに「賛成」「反対」「よく分らない」の3項目に区切ってカラーシールを貼ってもらう投票です。
 結果は「賛成」0,「反対」61「よくわからない」1でした。小中学生が20%,女性は70%と参加者が多く,関心が広がっていることを事実で示されて,大いに盛り上がりました。特に年少の人達は,率直な考えを述べています。すぐにシールを「反対」のところに貼ります。どうしてそこに貼ったのかと聞くと,“戦争はいや“と言い,“戦争をするとたくさんの人が死ぬから”(11歳),小学6年生の5人は全員が「反対」に貼りました。また,女性の人達は積極的にボードの「反対」に貼り,“戦争のへの危機感です。”“政府は説明不足です。”“これから国会に行って大声をはりあげて来ます。”さらに “1つでは足りない。10個付けたい。” ”絶対(を前に付けたい)反対” “大反対” としたい等々思いの丈をぶつけていく状況が続きました。
  安倍首相は内閣の支持率が下がったのは,国民の理解が不足しているからだからとか,説明不足だからからと言っていますが,そうではなく国民は戦争の危機を感じ,安倍内閣の説明を聞けば聞くほど,「九条違反」の法律であることを見抜いていることの現れだと思います。延長された国会を法案の違憲性を暴き,廃案への運動をさらに拡大できる期間と捉え,今までにしたこともない運動の広がりを作って,必ず廃案にしようではありませんか。子や孫たちのためにも。 (S・N)           
●特攻作戦は「統率としては下道」と言いつ・・・・・・・・・・・
 
戦跡めぐりとして特攻の発祥地「筑波海軍航空記念館」等の見学をするための事前学習として幾冊かの「特攻」に関する本をよんだ。「ユキは十七歳 特攻で死んだ―子犬よさらば、愛しきいのち」(ポプラ社 我孫子の図書館にあります。)特攻服を着て小犬を抱く幸雄を含む5人の少年が微笑む表紙の写真は私には衝撃でした。毛利恒之氏はこの少年の微笑みが忘れられずユキ少年の生い立ちから特攻で死ぬまでを追い、これをまとめてノンフィクションとしてまとめたのがこの本であることを知った。(毛利氏は映画になった「月光の夏」の著者でもある)
その後「米内正光・山本五十六は愚将だった」、「特攻の真実」を図書館から借りて読んだ。特攻を作戦として始めた中西瀧次郎中将は「統率としては下道」と言いつ、最初の特攻隊「敷島隊」が米空母セントロ-を撃沈させるなど戦果を挙げると、一時的な作戦だった特攻作戦を全海軍の主要な作戦に切り替えた。その後44回の特攻隊を送り出している。最初の頃はそれなりの戦果があったが、アメリカはすぐ対策を取り、出撃情報をレ−ダ−でとらえ、途中で戦艦とグラマンF6F戦闘機が待ち伏せ攻撃をしたので、敵艦に近づく前に撃破されるばかりとなった。2トン弱のゼロ戦が250kgの爆弾を抱えると時速180kmほどの低速になるので攻撃の餌食となってしまい、戦果は望むべきもなかった。「戦局を若い君らが拓く」との募集を見て志願した若き学徒兵には真実を知らせず、次々と特攻として出撃させた。戦後ある将官の「いたずらに地上攻撃で撃破され、操縦者を死なせるよりは未熟者でも出撃させて死に場所を与えた」との言には、軍上官たちの精神的退廃敗を感じた。統率として下道ではなく「人倫としてまさに下道」であった。外国人から見ると「軍の上に行くほど、上官ほど無能」との評。今安倍晋三という無能の首相が日本を危機に陥れようとしている。戦後を終わらせてはいけないと国会やデモ集会に参加している。(A・S)
∇訪問介護先で聞いた戦争の話∇・・・・・・・・・
 訪問介護の仕事をしています。利用される方は、80歳代から90歳代の方々です。「青春時代は戦争真っ只中だった!」とみなさんおっしゃいます。
  ある男性は「日本は戦争に負けて、よかった!。あのまま勝っていたら、軍国主義の恐ろしい国になっていたのでは?と思うと恐ろしい。」「自分も軍隊に入れられたけれど、毎日毎日びんたをくらって、食べるものも少しで、一日中駆けずり回って、頭はぼーっとして、そんなんで勝てるわけがない、と思った」

「今の若い孫たちにはやりたいことを思い切りやりなと言っているんだ」「なにもかもでたらめだった。嘘がまかり通った時代だった。」「それからは一生懸命に働いた。」としみじみ言っています。

 ある女性は『大阪も空襲では、酷い目にあった。東京の空襲はみなさん知っているけど、大阪もひどかったんだよ。市電に乗って友達と学校に行く途中で、電車の屋根すれすれに、アメリカの飛行機が飛んできて、撃ってきた。運転手が早く降りろ!と怒鳴って、みんな降りた。地面にうつ伏せになった。神様!なんまいだ!なんまいだと祈った。頭の上をだだっと狙っていった。飛行機が去って顔を恐る恐る上げ、周りの友達を見た。みんなやられていた。自分だけが助かった。運転手が「仕方がない、早く家に帰りなさい。」と言った。「なんまんだ!なんまんだ!と手を合わせながら家に帰った。いまでも忘れられない。」と。
  高齢のみなさんは物の無い辛さを身をもって体験してきて、それが骨身に沁みこんでいらっしゃる。今もパックひとつでも洗って貯めていらっしゃる。これまでの体験を聞くたびに、戦争の惨めさがみなさんの心も体も、今も痛めつけていると思うと、戦争はとても惨いものだと思います。私は昭和21年8月14日にこの世に生をいただきました。民主主義とはどんなことを言うのでしょうか、という授業を受けて育ちました。周りの大人たちは、石ころしか返ってこなかった、と泣いていました。再婚したが、いつか夫が帰って来るのではと寝られないと話している。成田に初詣に行くと参道に手の無い人や足のない人が、アコーデオンを弾きながら歌っている。白い服がとても見ていられなかった。それが戦争だということがわかってからは、いろいろ考えるようになった。想像しかできないが、でもいのちの大切さはわかる。戦争は絶対だめ!もわかる。孫とご飯を食べながら訪問先で聞いたことを話しています。 (ヘルパーの女性)

事務局だより

★「戦争法案」を廃案にするために5月,6月,7月はたくさんの取り組みをしました。

@ 5月16日(日)講演会
「戦争法案が生み出す国」
講師田中隆弁護士(44名)
A 5月23日(土)ミニキャラバン 天王台地域 (3名)
B 6月2日(火)新木駅南口早朝宣伝 (11名)
C 我孫子市の6月市議会に市内の8団体*が「安全保障関連法案」の廃案を求める請願を提出しましたが、
26日本会議で不採択になりました。
D 6月9日(火)我孫子駅南口 新婦人我孫子支部と合同行動 参加者(28人)
E 6月14日(日)ミニキャラバン 湖北台団地(3名)
F 6月20日(土)ミニキャラバン 湖北地域(3名)
G 6月23日(火)第4回平和学習「筑波海軍航空記念館・予科練平和祈念館」(16名)
H 6月29日(月)我孫子駅南口、請願8団体共同行動(27名)
I 7月9日(木)運営委員会 「9の日宣伝行動」雨天中止
J 7月15日(木)我孫子駅南口 請願8団体合同宣伝(45人)
K 7月19日(日)我孫子駅北口 請願8団体合同宣伝(43人)
L 7月22日(水)うたごえ喫茶 湖北ポアロー(44人)
◇市議会に請願した8団体◇ ・我孫子市九条の会・新日本婦人の会我孫子支部
・千葉土建我孫子支部・あびこ医療と健康友の会・全日本年金者組合我孫子支部
・日本国民救援会我孫子支部・我孫子革新懇・子供を平和の中で育てようあびこ市民の会

■これからの予定
@ 8月9日(日)我孫子駅南口 4時〜5時「9の日」 宣伝行動 
A 9月9日(水)我孫子駅北口 3時〜4時「9の日」 宣伝行動
  ◎戦争法案に反対する行動は随時提案します。運営委員にお聞きください。
 
〜我孫子市九条の会結成10周年記念講演会〜  

憲法落語「歴史に学び、未来を志向する日本国憲法」
講師:八法亭みややっこ(弁護士 飯田美弥子)

日時:9月20日(日)午後2時〜4時 
    場所:我孫子北近隣センター並木本館ホール

 

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