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我孫子市九条の会ニュース

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                                          2006年9月

「我孫子市九条の会」と
「教育基本法を生かす我孫子市民の会」の共同宣伝行動実施!

 
 8月10日(木)午後4時より5時まで約1時間にわたり天王台マルエツ店前と天王台駅前で共同宣伝活動が行いました。
参加者は20数名と多く、一部が天王台駅前に移動して活動するというようになりました。

 天王台マルエツ店前での行動は幟を立てて、4名交代でのハンドマイクの訴えとそれにチラシの配布、対話・署名活動が中心でしたが、子供連れのお母さん方が多く、夕方の忙しいさなか対話が弾み、署名して下さる方もいました。

 60歳後半から70歳代の方でしたが、北朝鮮のミサイル発射問題や尖閣問題を上げ、外国から攻撃されたら日本はどうするのか、軍隊を持たなくてどうするのかと言っていた人もいたそうです。この点について私たちも学習を深めていく必要を感じました

 参加された皆さん暑い中お疲れ様でした。次回はさらに多くの皆さんのご協力をお願いします。

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「パレスチナから憲法九条を考える」

「日本の真の国際貢献とは平和憲法を守ること、憲法九条を世界中の国が持つように輸出して下さい。」

 
 モルデカイ・バヌヌ博士(原子物理学者)

表題のこの言葉を語ってくださった方は、イスラエルのディモナにある原子力研究所( 表向き、実は秘密核施設) で研究者として働いていた方で、ユダヤ人 (ユダヤ教の信者である人を言いますが、彼の現在は違います) です。ユダヤ人であれば、イスラエル政府( イスラエルとはパレスチナにユダヤ人の国を造るというシオニズムという思想・主義によって建てられた国) の方針や行っていることにはすべて賛成で疑問も持たないはずです。
しかし、彼は自分の働いている職場で、原爆を作ることができるプルトニウムの製造の事実を知って、イスラエルという国の安全保障のために必要なことかもしれないが、いくらユダヤ人であっても、パレスチナに対してこれを使用するとか、核戦争を起こす危険があるようなことは絶対におかしい、このことを誰かが世界に知らせなくてはいけない。でも誰もやらない。ならば私がやらなければ誰がやる。もしそうしなかったら「なぜ,あのときやらなかったのか」と後悔してしまう。たとえ、そのために困難な状況が自分に降りかかったとしても、との思いの中で、彼は仕事の目を盗み、コツコツと職場で、写真を撮り集め、それらをイギリスの報道機関に、全世界に発表してイスラエルの核開発を白日のものとすれば、全世界からの批判を浴び、核開発を断念し、平和へと向うだろう、との思いから情報を送りました。なお、その当時イスラエルは核の保有・核開発については、公式には認めていませんでした( 実際には、プルトニウムの原爆を年間 10 個作り、1985年までに 200 個を保有し、85年以降は、水素爆弾も製造していたらしい)。

サンデー・タイムズ などの報道機関では、彼からの情報を入手しても、すぐにこのことを発表せず、情報についての調査に時間をかけました。情報をイギリスに送る時に、彼は職場を辞めてイスラエルを出国し、オーストラリアに滞在していました。この間に、イスラエルの諜報機関にどういうわけか情報が漏れ、オーストラリアからイタリアへの旅行中、彼は拉致されイスラエルの刑務所へ連行されました。以後 19 年間、政府からスパイ・国の裏切り者として刑務所での独房生活を強制されました。 19 年の間に何とでも理由をつけられ、あるいは理由も無く殺される可能性は何度もあったそうです。   

そのような危機的状況の中でも、世界中の支援者が支援行動し、彼を訪問しました。広島から面会に来てくれる人もいて、そのような中で彼は苦境を乗り越えて行きました。今から2年前、彼は、突然に奇跡的に刑務所から出ることができました。釈放した時のイスラエル政府からの話は、「あなたはこれからは自由です、どこでも好きなところへ行っていい。好きな仕事に就きなさい。」ということでした。しかし、その言葉とは裏腹に、実際には、彼はエルサレム市内から外に出ることは不可能なのです。

市内の道路上に設置された幾つもの検問所で、様々な意味不明の理由をつけられて、あるいは、問答無用の門前払いのような形で、市外に出してもらえないのです。また、ある時は、ただ散歩しているだけで逮捕されて、しかも拘留期間は不明で、数日で釈放されることもあれば、何ヶ月もして突然釈放されたりしても、その理由の説明はないのです。旅行に行こうとすると、警察が次の日やってきて「外出は取り止めなさい」と警告される、どこで何が見られ、何を聞かれているのかわからない、監視された生活・・・、そんな不安な日々を送っています。好きな仕事に就きなさいと言われても、雇うところはありません。生活していくこともできないのです。

そのため、現在、彼は、中東聖公会の教会に身を寄せています。様々な支援者から、イギリスの報道機関からも寄付が届きました。また、「オノ・ヨーコ平和賞」を受賞しました。

彼は今、エルサレムに原爆資料館をつくりたいと夢を描いています。(バヌヌ氏の思いが広島の方に伝えられて、広島平和記念資料館より様々な資料が寄贈され、展示会等がエルサレムで行われているそうです。)

彼はご自身の状況を話してくださった上で、次のように続けられました。

「日本に期待し、日本だからこそできる、いえ日本しかできないことがあります、それは平和憲法を持っていることであり、その中でも憲法九条の交戦権の放棄は、日本が世界に対して誇りに思うことであります、九条は本当に素晴らしい、これを未来に渡って守り、これを世界に輸出することをしてほしい。それは世界中が憲法九条を持ち、全ての国が、武力・兵器を捨てること、そのために日本がリーダーシップを発揮し、まず自らが武装を解除し、全ての武器を廃棄することです。これが世界を平和にする行動であり、これこそが日本が行う国際貢献なのです。」

日本は世界で唯一原爆を落とされた国です。原爆を落とされた国として、原爆の恐ろしさを一番わかっているはずです。ですから原爆・水爆などの兵器の全廃、兵器として転用可能な原子力の利用の一切の禁止を、率先して行動し実現させていくことが平和へと繋がるのです。原子力発電所を持つことは、そこを攻撃されれば、それは原爆と同じ被害をもたらします。二度と広島や長崎の悲劇を繰り返さないためにも、原子力に頼らない生活・・・、原子力に変わるエネルギーを代替使用する技術を開発し発展させていくこと、それは自然エネルギーを利用するやり方で、例えば太陽や風力などのエネルギー資源としての可能性をいっそう現実化させることが出来るはずです。戦後の飛躍的な高度経済成長や多くの技術開発(携帯電話やデジカメ)を実現できた日本ならば、それは可能のはずです。

現在の戦争・紛争はエネルギーと鉱物資源の経済的利益の奪い合いが原因です。奪い合うものが無くなれば世界から争いは無くなるのです。そのためには環境を守る、クリーンな環境、水を守る、空気を守る、壊した自然の修復、今あるものを壊されないよう守る、廃棄物を減少させる、資源を守る、化石燃料に頼らない生活を目指す、大量消費生活の改善、太陽・風力などの自然エネルギーの普及によって原子力を放棄できるようにすること、原子力を持つことによって、深刻な環境破壊の危険を避けるため。様々な活動は繋がっており、どれか一つでもないのです。考えうる全ての事に関わることが、平和に繋がる行動です。

また、日本が世界から今も非難されていることに、過去の戦争と日本は向き合っていないということがあげられます。世界中から卑怯者として嫌われている現在の日本、個々人においては、外国の方々と友好な関係を結ぶのでしょうが、ある意味、楽しい関係しか結べないというのは、外国人から、日本は歴史をきちんと見つめられない、何を言っても無駄な国の人間だと呆れられているだけなのです。国民が国の方向性を正しい方向に修正して、過去の侵略の被害を与えた国に対して、国としての対応をさせていくことは、世界も日本を過去の過ちと向き合わない現実逃避の国とみなさなくなるでしょう。

そして、武装して、安全・防衛を構築する、ということが言われますが、それは、アメリカの軍産複合体による、兵器を大量に消費していかなければ国が成り立たないという、ある一定のサイクルで強制的に何処かで戦争を起こさせないと国が回らないという波に飲み込まれ、巻き込まれているだけです。攻撃を仕掛けてくる国など現実的でなく、今はいません。国民の不安感を煽って武器を買わせるだけです。

今の時代、何処も他国をいきなり攻めようとするところはありません。戦争はお金がかかり、どこの国も現実をきちんと見極めていますからしません。あるのは、エネルギーの覇権をどう押さえて経済の主導権を握るかということで、他国を軍事占領しよう、または、内戦を人為的に起こさせる (アフリカで起きていること) などの、占領後の利益をどうとるかということなのである・・・。」 と話して下さいました。

バヌヌさんとの出会いは、 2005 年夏に、私が所属する日本聖公会というキリスト教の教派の東京教区のパレスチナの人々との協働交流プログラムでイスラエルに行った時の現地での学習会でお聞きした事です。

憲法九条を守ることは、日本の事だけではなく、世界と繋がっています。何よりも、この地に平和は絶対に来ないだろうとまで言われているパレスチナと

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★レバノン・パレスチナの今月までの状況について

今回のレバノン空爆には、アメリカからのイスラエルへ数 10 億ドル以上の支援とクラスター爆弾や劣化ウラン弾の武器・爆弾の販売・供給によって空爆がなされていったことや、イスラエルの新聞が伝えるところでは、イスラエルの軍隊の中で、武器の蓄えすらよく知らされないまま、最前線の戦闘に送り出されていった召集された兵士たちの部隊があり、生きて帰ってきたのが不思議なくらいという軍隊内部に指令・連絡系統等における不備を伝えることもありました。しかし、イスラエルの圧倒的火力に対して、比較にならないほどの非力な武器と抵抗力で戦うヒズボラ側・レバノン側には、多大なる犠牲を生み出しました。

先日サラーム・パレスチナの会員の方から配信していただいた現地の状況の写真には、正視することができないくらいの子どもたちの黒焦げになった写真や、飛び散り崩れた肉の固まりになった死体の写真などがありました。悲惨で凄惨な現実を外部に伝えず、戦車や破壊されたビルの偽情報だけを伝えていることは、外国には現地の詳しい真実を隠蔽し、意図的に情報操作をしています。もし、凄惨な事が詳しく伝われば、更なる抗議行動の激化を生むからでしょう。

現地からの様々な情報の中には、停戦しても、不発弾で亡くなる市民、医療物資や医療従事者がいなくて、治療を受ければ助かる人が受けられないまま亡くなっていく状況、またレバノンで支援を行われているある地区では、昼間に毛布などを渡したのでは、本当に必要な人に渡らないことがあるため、深夜、懐中電灯で毛布を取りに来れない人たちを探して 500 人に手渡ししている団体もあるそうです。

8 月中に私が参加した、イスラエル大使館前での即時停戦を呼びかける抗議行動や、靖国神社に関する抗議行動などでも、多くのマスコミ報道関係者がいたのに、あまりレバノンの現状は伝えられなかったようです。

全国各地で抗議行動が起きているが、そのことが伝えられていない、伝えないようにする意図が働いているようです。日本はみんな無関心、自分のことだけ考え、他者のこと・外国のことに関係ない、と抗議の声をあげない無気力な人間の集まりなのだと、思い込ませるかのように・・・。

 
 

どうか、いますぐできる現地への関わりや支援にご関心を持っていただけたらと思いまして以下に記します。

☆★レバノンでの緊急救援活動と募金のお知らせ

 特定非営利活動法人パレスチナ子どものキャンペーンでは、イスラエル・パレスチナ・レバノンでの戦火の拡大を憂慮し、関係者への即時停戦を求める声明を 7 月 17 日に出しましたが、レバノンとガザの市民のための緊急救援活動を 7 月 21 日より開始します。
  レバノンのシーア派組織ヒズボッラーによるイスラエル兵誘拐事件に端を発したイスラエル軍のレバノン攻撃によって、 18 日までに市民 220 人以上が犠牲となり、 65000 人がホームレスとなっています。ガザでは 6 月 25 日以降 100 人を越える死者と政府機関への空爆が続いています。救援の第一次は、南部とベイルートのパレスチナ難民キャンプに逃げてきているレバノン人避難民に対する食料の配布です。南部のラシャディエやベイルートのシャティーラ、ブルジバラジネのキャンプにはそれぞれ 100 家族近くが爆撃を避けて逃げてきており、国連の学校の教室で寝起きしています。こうしたレバノン人家族と、日雇いで収入がなくなったパレスチナ難民の家族へ、現地の「 NGO フォーラム」を通して食料を配布します。 1 家族あたり約 5000 円相当で、米、砂糖、塩、レンズ豆、ヒヨコマメ、マカロニ、トマトペースト、植物油、粉ミルク、ゴマでできたお菓子、チーズとお茶など 10 日分位です。現地では、まだ国連や政府からの支援物資は配布されていません・・・。 (募金依頼書から抜粋) 【報告】 レバノンで3500世帯に食料配布を実施( 8月1日)
募金の送り先 : 郵便振替口座 00160 - - 177367
パレスチナ子供のキャンペーン (緊急募金とお書きください)

【講演会】  9.11から5年 〜分裂する世界とパレスチナ〜
  日時: 2006 年 9月26日(火) 19 時〜 21 時      講師: 川上泰徳さん (朝日新聞編集委員)
  会場:常円寺 祖師堂ホール地下1階(新宿駅)

☆★パレスチナ・ガザ緊急支援  JVC(日本国際ボランティアセンター)

郵便振込口座: 00190-9-27495  加入者名: JVC 東京事務所
※通信欄に、『パレスチナ・ガザ緊急支援』と明記してください。

ガザ地区における、子どもたちの栄養改善に取り組む現地 NGO 「人間の大地」のセンターへの、栄養失調児だけでなく、同伴している母親や兄弟にも食事を出す支援の必要が出ています。対象者の増加により、センターでは十分な食材の予算が不足しています。 JVC は、センターで提供する栄養食を支援すると同時に、母親たちが安い食材で栄養価の高い食事を作れるよう指導できる職員や、母子が来所できるよう交通費の補助も合わせて支援します。

★1000円あれば一人の幼稚園児がミルクとビスケットで1カ月食事が出来ます。

*先月の運営委員の方々から合計15000円ものカンパを預かりました。さっそくJVCに送金しました。感謝のお手紙をいただきました。

☆★ アハリー・アラブ病院への緊急支援のため

 
 イスラエルのパレスチナ自治区「ガザ」にあるの中東聖公会の病院です。レバノンの空爆でガザの状況は伝えられませんでしたが、レバノンと同じくらいの空爆がガザのも、されました。水・電気・ガスの供給を絶たれ、医薬品・食料等の物資をガザに入れることは困難な状況です。医療器具が使えない、包帯も消毒薬もないまま、ケガをした人、助けを必要な人、困っている人を、無償で助けています。

郵便振替口座:00150−7−601525 

口座名:アハリー・アラブ病院を支援するする会

(宮崎 仁)

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平和集会参加者からの報告
◇被爆61周年「平和祈念式典」 核廃絶と平和を願って

 
 今年は広島・長崎への原爆投下から61年目になります。8月19日手賀沼公園内の平和記念碑前で、被爆者の会と我孫子市の共催で被爆61周年「平和祈念式典」が行われました。

平和祈念式展は記念碑が築かれた昭和61年より毎年行われてきましたが、今年の式典では開会の辞に続き、濱田洋子さんが被爆した詩人原民喜の「燃エガラ」と、長崎で体内被曝児として出生された新木野在住の的山ケイコさんの「百歳めざして」を朗読されました。また今年の我孫子市の平和事業では、8月6日の広島の平和記念式典に市内の6つの中学校から各1名が派遣されたのですが、白山中の白田愛さんが広島での報告をするとともに「人と人との争いは話し合いで治めているのだから、国同士でも対話をすれば戦争はなくせるのではないか」と話し合いの大切さを語りました。

 県議の方は「戦争体験者・被爆者の方の高齢化に伴い、失われつつある戦争の記憶と今に続く被爆の苦しみをなんとしても市民は語り継いでいきましょう」と訴えました。

 61年前の夏の日を思わせるほどの暑い日射しが照りつけるなか、赤ちゃんをあやしながらの女性、2人の幼子を連れたご家族、車いすのホームのお年寄りなど広範な市民が参列され、献花・黙祷を捧げるとともに、地球上の核兵器の廃絶と世界の恒久の平和を願いました。
 

120名の参列者があり、「我孫子市九条の会」からも多くの方が参列しました。

 祈念式典の後、アビスタで被爆者の方と懇談会がもたれました。被爆者の方が長年の苦しみと思いを話されました。
今年は例年にないほど多くの参加者が得られたとは市長の言ですが、九条の会の会員も多数出席しました。
祈念式典、懇談会ともに来年も誘い合って参加しましょう。 (本田 記)

◇原子力空母来るな、米軍の指令部はいらない!
7・9首都圏大集会IN横須賀に参加して

集会場は横須賀ヴェルニー公園(旧臨海公園)。公園の鉄柵から横須賀港を見ると普段見慣れない異様な光景が目に入ってくる.眼前に海上自衛隊2隻のイージス艦、3隻の潜水艦、遠く前方には巨大な艦船がゆったりと浮んでいる。これが軍港横須賀港か。目に見えない沖にはさらに教十隻の軍艦が繋留していることだろう。

 
 この軍港の姿を見て本当に憲法九条があるのか?大きな疑問が脳裏をかすめます。

憲法九条第2項には陸・海・空の軍隊は持たないとなっているではないか!怒りが込み上げてきます。

 会場には「空母はくるな!」、「基地をかえせ!」などのゼッケンを付けて参加している人・人……。赤や黄、青、橙色の旗や幟を持って立錐の隙間もない会場に立つ参加者。今日この日、全国各地から3万人の人達で渦まいていました。平和を愛する松平晃さんのトランペット、横井久美子さんら文化後援会の人の歌が軍港横須賀の空に響きました。

 我孫子からは我孫子革新懇の呼びかけで13人が参加しました。6月25日我孫子革新懇は記念すべき20回総会を開きました。革新懇は3つの共同目標、すなわち、(1)日本経済を国民本位に転換し、暮しが豊かになる日本をめざします。(2)日本国憲法を生かし、自由と人権、民主主義が発展する日本をめざします。(3)日米安保条約をなくし、非核・非同盟・中立の平和な日本をめざします、を掲げて運動を展開しています。

 3万人の大集会。「原子力空母配備反対、米軍再編の撤回」をもとめ運動をしている沖縄、岩国、座間などの各地の参加者が発言しました。とくに今年はじめ奥さんを横須賀の 路上で米兵に殺された、佐藤好重さんの怒りを込めた発言は参加者をいっそう米軍基地反対の思いを強くさせました。お金ほしさに殺す、その殺し方が顔や身体を壁にぶつけ、肋骨が折れ、内臓が破裂し、息の根が止まるまで・・・…」と無念の気持ちを怒りをもって訴えました。これが日米安保条約の実態だ!多くの国民が米軍は日本がいざという時に日米安保条約に基づいて日本を守ってくれると信じている。しかし実態はアメリカがアフガン、イラクの戦争に日本を基地にして先制攻撃の不沈空母の役割を担っているのだ。

 今、「米軍再編」に多くの国民が反対に立ち上がっています。沖繩では海兵隊新基地建設に県民の約7割が反対しています。岩国では空母艦載機の大量移転計画に対して2度にわたり住民の「ノー」の審判が下りました。キャンプ座間の米陸軍の新指令部移設に対しても、座間・相模原両氏の反対は揺るぎないものとなっています。この米軍再編は日本にとってきわめて危険な計画ですが、さらに3兆円という巨額の費用負担を米国の領土であるグアム移転に日本国民が税金を使うことです。医療費負担の増額、年金切り下げ・負担増、介護保険料の増額、国保の値上げなど福祉予算を限りなく減らしながら、アメリカには言いなりの税金の無駄使い、絶対に許せません。医療費や年金などの福祉へそのお金をまわせ!この怒りが全員の共通のものとなりました。

 私たち参加者13名は集会後米軍基地ゲート前を通り3キロのデモ行進をしました。ゲート前では立ち止まり、怒りをこめて「米軍再編反対」、「日米安保条約廃棄」、「原子力空母の配備反対」などシュプレヒコールをしながら行進しました。

横須賀は軍事的側面を実感として体験することができる軍都です。私たちが平和に日本を61年間続けてこられたのは平和憲法があるからだと本当に思いました。憲法九条は日本の宝、いや世界の宝にしていきたいと強く願っています。いかなる武器の不保有・廃棄が世界に広がれば、どんなに平和はひろがるだろう。

我孫子市九条の会はできたてのほやほやですが、市内の多くの人達に平和の大切さを広め、訴えたいと思います。「憲法・九条を生かし守る運動は始まったばかりです。国民投票法案、教育基本法改悪、共謀罪新設法案など憲法をかえる自民党・公明党・民主党などの危険な動きを止めさせる運動が必要ではないでしようか。 

(我孫子市革新懇 事務局長 中村良雄 )

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◇憲法九条を守ることは民主革命である
原水爆禁止2006年世界大会・科学者集会に参加して

2006年8月1日に全国から約139名の科学者を集めて、「原水爆禁止2006  世界大会・科学者集会」が横浜開港記念館行動において開催された。米原子力空母の横須賀基地配備が問題になっていることもあって開催地が横浜になったようである。メインテーマは「憲法九条を世界に広め、平和と核兵器廃絶を実現しよう」であった。第一回の集会は 1987年に開催されたので、今年は19回目に当たる。

 開会の挨拶に次いで、広島市長、長崎市長、逗子市長からの挨拶が紹介された。

 講演では、まず天木直人元レバノン大使による「米軍基地再編と日本外交」というお話があった。天木さんは「米軍再編への協力は歴史に逆行する誤りであり、日本の安全保障政策とは無関係なテロとの戦いに日本を巻き込むものである。憲法九条を守ることは民主革命であり、また国際政治のパラダイムを変えることである。」と述べられた。

 アメリカ代表のジョゼフ・ガーソンさん (アメリカフレンズ奉仕委員会) は、「現在の危機、核戦争の防止と日米安保条約の克服」について話された。安保条約について彼の英文テキストでは U.S.-Japan military alliance(AMPO)(米−日軍事同盟)と書かれていた。

 中鴫篤之助さん (元中央大学) は「原子力空母と米核戦略」について、「原子力空母の横須賀配備について外務省や防衛庁はきちんとした経過説明を行っていないのは、日本が民主主義国家であるならば奇怪なことである。中間報告を受けた各地の知事や市長などがほとんどすべて反対を表明している。『やむをえない』と述べたのは石原都知事だけである。安全性についても『機密の壁』に阻まれて、まったく『透明性』を欠いている。」と述べられた。

さらに「寄港による危険は原子炉事故だけではない。艦載機訓練による騒音、 6,000人もの乗員による不祥事や犯罪、住宅増設などによる環境破壊、放射性廃棄物問題、1日1,000隻を越す浦賀水道で予測される衝突海難事故などが考えられる。」「核兵器持ち込みについても情報を公開させ、説明責任を果たさせなければならない。」と述べられた。

 亀山統一さん (日本科学者会議沖縄支部) は「『日米同盟の変革』と沖縄・日本・アジア」について講演した。彼は「周辺事態とは地理的概念ではないとの政府答弁によって、いかなる遠隔地の事態でも『周辺事態』と宣言できることになった。グローバルな日米安保体制の構築のために少なくとも、米軍の世界的な再配置の中での在日米軍の再編、自衛隊の米軍との共同行動の深化、派兵できる国となるための日本の有事法整備の、3つの変革が同時に進められた。この時期に顕在化した沖縄や本土の米軍基地の再編問題を、『沖縄問題』『基地問題』ととらえることは、世論を過小評価に導くものである。」と述べられた。

 春風みお、タミ (神奈川県原爆被災者の会) は腹話術を使って自らの広島における原爆体験を語られた。
 宮原哲朗( 弁護士、原爆症認定集団訴訟・全国弁護団連絡会) は「原爆症認定集団訴訟」の現状について報告された。
最後にアピールを採択して、集会を終わった。

(浅見輝男)

九条の会 第1回 全国交流集会のまとめ

「九条の会」からの訴え  2006年6月10日

1)「九条の会」アピールに賛同し、思想・信条・政治的立場などの違いを超えた、本当に広範な人々が参加する「会」をつくり、過半数世論を結集しましょう。

2)大小無数の学習会を開き、日本国憲法9条のすぐれた意義と改憲案の危険な内容を学び、多くの人びとの中に広げましょう。「九条の会」としては全国数カ所で「九条の会憲法セミナー」を開催します。

3)ポスター、署名、意見広告等によるアピール、マスコミ等への手紙・電話・メール運動、地元の政治家や影響力をもつ人びとへの協力要請など、9条改憲反対のひとりひとりの意思をさまざまな形で表明しながら、「会」の仲間を増やしましょう。

4)“9条守れ”の世論を大きく広げるため、「会」を全国の市区町村・丁目・学区、職場・学園に網の目のようにつくり、相互のネットワークを強めて情報や経験を交流し、協力しあいましょう。その成果を来年 の第2回全国交流集会にもちよりましょう

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