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我孫子市九条の会ニュース

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                                          2006年12月

『平和の歌と憲法のおはなし』を開催

 
  左:城 理生さん     右:中村洋子さん
 
 ◆我孫子市九条の会は、11月12日(日)に文化行事「平和の歌と憲法のおはなし」を天王台北近隣センター・ホールで開催しました。
  第1部は「反戦・平和を歌う」として城 理生さんのロックボーカル、ピアノ伴奏 金澤 亜希子さんによる中村 洋子さんのソプラノのジョイントコンサートを行いました。第2部では、「日本国憲法のルーツと今日」と題して鈴木安蔵氏の愛弟子の金子 勝立正大学教授に講演をしていただきました。

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 金子 勝先生講演
 『日本国憲法はGHQ・戦勝国からの押し付けられた憲法だから、変えなければならない』として改憲論を声高に叫び、平和条項とりわけ第九条を改変して、戦争をする国にしようとする動きが進められようとしています。
 しかし、GHQの起草した「日本国憲法草案」には"手本"がありました。その手本とは、鈴木安蔵氏をはじめとした憲法研究会が起草した『憲法草案要綱』でした。 GHQ側は『憲法草案要綱』を英訳し、それをつぶさに検討して、参考にしました。(以下レジメへ)
 金子 勝先生講演レジメ

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 パレスチナ その3 宮崎 仁
 
■イスラエルの地は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の宗教的に重要な場所(聖なる地)であり、歴史的にも十字軍のこともあるので、2000年に渡る宗教間の問題であり、簡単には解決できないもので、どうすることもできないと思いがちですがそうではありません。
パレスチナ問題とは、約80年ほど前、ユダヤ人への差別や弾圧が激しくなる中で、民族を守り安全で安定した生活をしよう、世界中に散らばって生活するのでなく、自分たちの国を持とう、その国は、旧約聖書に記された約束の土地にユダヤ人の国・イスラエルを建てようというシオニズムという思想が事の発端です。
シオニズムとは、簡単にいえば、それまで長い間生活していたパレスチナ人たちと共存するのではなく、全て排除もしくは殲滅してユダヤ人だけ、ユダヤ民族のみの国を造るということです。

■土地の入手や人間の排除・殲滅の方法は、まずパレスチナ人農家の所有する土地を、現金収入の乏しかった所を、高額でユダヤ人が買い、土地を失った農家を、今度は安い賃金で雇い、それまで自分の土地だった所を、耕させられる生活にさせてしまうのです。

■まだそんな「平和的な交渉」ができていればよかったのですが、ある時はひとつの村の住民すべてを武装した集団が虐殺したり、村人が寝静まった深夜予告もなく突然重機によって建物ごと押しつぶされ、そのまま生き埋めにさせられ、コンクリートを流し込み地面に蓋をして埋め、その上にきれいな建物を建てて、後から来た人々には、平然と「昔から、誰もここにはいなかった、荒れ果てた土地だった、仕方なく我々がこのように耕し整えた」と言って、虐殺したことを何も知らないユダヤ人を住まわせてしまうのです。そのような村はわかっているだけでも数百にのぼるそうです。
また「キブツ」というユダヤ人のいうところの理想の農耕共同体というのがイスラエル国内の各地にありますが、それは全てが、肥沃なパレスチナ人の村ごと奪い「自分たちのものだ」と歴史を摩り替えてしまっています。

■または、武装したユダヤ人たちが村にやってきて、そこに住む村人たちに、直ちに退去するよう勧告しました。村長たちなどは話せばわかるだろうと交渉しに行きましたが、ユダヤ人たちは顔色一つ変えずに、「これから一時間以内に村を出ろ。一時間後に村にいるものの命は保証しない。」顔色ひとつ変えずそう言ったのです。交渉というものは最初からなく殲滅か排除のみなのです。
そのため、着の身着のままで、土地・家・家財道具などを置き去りにして故郷を追い出され避難した人々、それがパレスチナ難民なのです。

■難民は、イスラエル国内にも生活しておられますし、周辺の隣国にもいます。隣のヨルダンという国では国民の7割がパレスチナ難民です。そうは言っても全てがテント生活をして援助を受けている生活ではありません。むしろほとんどはヨルダン国内で生産的な活動に従事し、生活を確立して、豊かに生きている人々も多くおられます。ただし家を建て財産を持って生活が安定しても絶対に適わないことがあります。故郷に帰ることは出来ないのです。
難民となってすでに3世代目に入り、故郷への帰還を、誰もがあきらめるかと思いますが、まったくそうではなく、誰もが口々に「帰りたい」と言うのです。その思いは子どもたちに、孫たちに、しっかりと受け継がれています。「自分ができなくても、いつか必ず帰る」と。

 ◇原稿を大募集 !
宮崎 仁さん連載原稿の平和への願いに通じるシリーズを企画しています。 「平和への思い」を個人、グループで綴って次から次へその思いをリレーして伝え合っていく 「ピースリレー」です。 平和への思いが込められているならば、原稿の形式や内容は問いません。 皆様の積極的な応募をお待ちしています。なお、原稿は岩井事務局長宛にお送りください。
この平和への思いをリレーしていこうという試みのトップバッターは東我孫子在住の豊田 義信さんです。

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 ピースリレー 平和への願い 豊田 義信
 
 
  私が平和のことを考え出したきっかけとしては、小学4、5年生の頃におかしいと思った「多国籍軍イラク空爆」という新聞の太い見出しのことを思い出します。
今も昔も為政者は様々な口実や謀略で戦争を起こします。市民を殺し、そして歴史をあやめます。
現在、私は、戦時中の中国への侵略を認めない都議の歴史認識や天皇の政治責任、米軍基地のことなどを授業で扱い、東京都教育委員会から分限免職を受けた市内在住の中学校社会科教諭、増田都子さんの裁判闘争を応援しています。

また、今年度の我孫子市平和事業企画運営委員として、戦争の被害だけではなく、加害の側面を忘れない企画が出来ればと思っています。今年の企画テーマは子どもを対象としたもので、市内の中学生による広島派遣の報告と我孫子出身のはなわさんの平和への思いを込めたステージが11月11日に開かれました。

 さる9月23、24日に参加したけやきプラザでの平和のための市民コンサート。一番心に残ったのは、我孫子中学校の中学生が数百人の観客を前にして、『9・11の事件の犯人は誰なのでしょう?テロリストは誰なのでしょう?真実を追究しなければなりません。私たちは犠牲になった人々のために演奏します』と「ハナミズキ」という曲を演奏してくれたことです。
昨年我孫子市の平和事業で来て下さったきくちゆみさんが言われたことに、私も賛同します。「もし、911事件の真相が明らかになれば、アフガン戦争からイラク戦争が不当ということになり、そして日本の自衛隊の派遣から憲法改正の動きまで、戦争への道がオセロの駒が黒から白にドミノ倒しのようにすべてひっくりかえる可能性が非常に高いです。」

 市民コンサートでも変装しましたが、9月9日に参加した明治公園でのBe-inというイベントでも「9条を変えないための投票」を呼びかけるパフォーマンスをクラウンとして仲間と参加してきました。
  このスタイルは2年前のげんきフェスタから始まりました。布佐中学校の同級生と地元でできることを
(旗を持つあきちゃんとBe-inにて、写真ではコカリナで平和の歌「村の鍛冶屋」を演奏中)。

夜通し考えて、「ふさぴえろ」という集まりをつくりました。都内の平和集会に参加した時、怖い顔して大きな声で「○○反対!」と叫ぶ平和集会で、小さな子が驚いて泣いていました。
断固たる信念に基づいた抵抗の姿勢も非常に大事なのですが、子どもも母親も笑える雰囲気も大事です。そんな思いで活動していければと思います。

抵抗といえば私は9のつく日に、我孫子の宮崎さんやきくちゆみさんと共にガンジーの会(http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/)の一員としてハンガーストライキを続けています。あらゆる暴力と戦争に反対し、九条を永久に護持し、その根本精神を広めると同時に、イラクに駐留し続ける自衛隊の派遣に反対する意味を込めての (ガンジーの会トップページより)抵抗です。私は米軍基地の存在と安保体制への反対の意味も込めてハンストしています。

そうした活動だけでなく、私は日々の生活のあり方が重要だと考えます。現在3DKで夜は他人が来る時以外は電気をつけず、水道もちょろちょろ、毎日、我孫子市布施の有機玄米雑穀海草大豆飯と手作り味噌、梅干しなどを食べて生活しています。

 最後に、最近読んだものを紹介して、終わりたいと思います。
前田英樹著「安田興重郎の"絶対平和論"」、ユーラシア旅行社、
『風の旅人』21巻、2006年

 植物的アジア的な生産生活(水田耕作)、そういう厳粛な謙虚な生活に対して万一侵入軍徴兵が入ってきた場合は反抗せず協力せず誘惑されない態度。一切の道義の根本をきづくという神聖な熱情をその生活に注ぐ。これが平和をいう土台、これを絶対平和生活と云う。何が入ってきても表から裏へつきぬけさせる。何の障壁もなくて結局突き抜けてしまう様な生活を実際に慎重に計画すること。

片山佳代子「私を変えたガンジーの思想」、
http://homepage1.nifty.com/kayoko/gandhi-idea.htm

 平和を脅かすのは、軍隊や武器だけではありません。自分たちが何を食べ、何を着るかが世界の人々が平和に暮らしていけるかどうかに密接に関わっているので す。この大切なことを私はガンジーに教えられました。私たちは、日々の生活を送る上で多くのことを選択しています。朝食にご飯を食べるかパンを食べるか は、本当に些細なことのように思えますが、それによって日本の自給率が大きく変わってくることもまた事実です。些細な日常生活の中に、実は平和で豊かな生活が送れるかどうかの鍵があるとガンジーは訴えたのでした。

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